イギリスの哲学者であるサイモン・クリッチリーは著書『哲学者190人の死に方』河出書房新社)の中で、「人々が信じるメタフィジックス(形而上学)は貨幣と医療科学だけであり、長寿こそが疑う余地なく徳であるとして賞賛されている世界」と現代社会を揶揄している。

 

同書には荘子の言葉をこう記している。

 

「死と生は途絶える事のない変質である。この二つは始まったものが終わることではない。我々がひとたびこの原則を理解すれば、生と死を平等に扱うことができるだろう。」

 

爐△襪ままに見る

 

このことが一番難しいのだが、それ以上でもなくそれ以下でもないということであろう。

 

死への恐怖は皆平等に持ち合わせ、その恐怖感に蓋をして生活をしている。

 

住職をしているとたくさんの死の場面に立ち会うことになる。

 

そこには一人一人違う主人公の織りなす物語がある。

 

良き人生であったと思う方もいるであろうし、苦しかったと思う方もいるであろう。

 

形のない人生フォーマットに自分を乗せ生きている。

 

常識と倫理観に囚われ窮屈に生きてしまうのも人生。

 

物質を追うのも人生。

 

良いも悪いも無いがどの様に生きるか、を問うのが仏教である。

 

 

連続性の中にある犲分瓩鬚匹陵佑鵬鯤していくか。

 

自分の中に蠢く弱さをどう捌いていくか。

 

此岸にいるということを忘れ、形状記憶している自分に戻ってしまう。

 

しかし昨日の自分と決別できた時は大きな果実を手にしているのかもしれない。

 

お釈迦様はダンパマダという経典の中で
「戦場において百万の敵に勝つよりも己一人にうち克つ人こそ最上の勝者である」
と言われている。

 

欲望の激流を渡り、此岸から彼岸を目指していくことこそが問われているのかもしれない。

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