最近、色々な場所で目にするSDGs(エスディジーズ:持続可能な開発目標)のアイコン。

横文字で読み方もわかりづらいのでとっつきにくい印象ですが、2015年の国連総会で全会一致のもと採択され、貧困や教育、環境など17の問題解決を目指す開発目標のことです。


・・・と言われても、やっぱりどこか遠い世界のお話に聞こえてしまうのが大方の感想でしょう。

 

しかし、その中心理念は「誰ひとり取り残さない」ということ。

 

世界の一部分だけが良くなるのではなく、地球上の全てを視野に入れています。

 

 

実はこれ、仏教で言うところの「四弘誓願」の精神と同じです。

 

四弘誓願とは、多少の字句の違いはありますが、大乗仏教の宗旨・宗派を超えて共有されている誓願のことで、

 

―粟弧喫媽栖蠹戞畸狼緇紊里△蕕罎訐弧燭鯀瓦撞澪僂垢
煩悩無数誓願断=無数にある煩悩を断つ
K〔臾疑埓栖蠱辧甼気┐鰐疑圓世全て学び尽くす
な道無上誓願成=この上もなくすぐれた悟りを求める仏道に最後まで精進する

 

という4つ。

 

しかし、並列の箇条書きではありません。

 

自他の救済に向かっての第一願こそが中心で、そのためにできる限り欲を捨て、教えを学ぶことを誓うのが第二願と第三願、そして、その努力を続ける覚悟の大切さを示す第四願という構造になっているからです。

 

この第一願「衆生無辺誓願度」を現代語に言い換えると、

「誰ひとり取り残さない」

ということになります。

 

「今だけ、自分だけ良ければいい」という考えから少しでも脱け出し、今、周りにいる人や未来の子孫たちのために何をすべきかを学び、行動し続けようと呼びかけているSDGsと四弘誓願は呼応しているように思えてなりません。

 

仏教徒こそ、この現代的な課題に取り組むべきと感じている所以です。

 

仏さまは衆生無辺誓願度を達成するために、たくさんの教えを説きのこされました。

 

法華経(法師品)には、

「もし、この善男子・善女人、我が滅度の後、よく密かに一人のためにも法華経の乃至一句を説かん。當に知るべし。この人はすなわち如来の使いなり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり」

 

(現代語訳:男女を問わず、仏の究極の悟りである法華経を信じ、伝える人。たとえその相手が1人であったとしても、また、堂々と伝える力がなかったとしても、その人こそがこの世を救う仏の使いであり、仏と同じ振る舞いをなす人である)

とあります。

 

たとえ万人を救済するために力を尽くすことができなくても、目の前の人のためにできることが必ずある。

 

たった1人のためであっても仏の慈悲を伝えていくことが、やがてすべての人の救いにつながるから。

 

自分ひとりのホンの小さな行動でも、世界全体をよくすることにつながるという考え方。

 

仏さまは、私たちが微力であっても無力ではないと励ましてくださっているのです。

 

たとえ何もできなくても、誰かの仕合せを思い、祈ることなら誰でもできるはず。

 

仏教徒かそうでないかに関わらず、「誰ひとり取り残さない」世界を実現するためにできる第一歩は犁Г襪海鉢瓩覆里任呂覆いと思っています。

 


Tさんの看取り

 

昨年から月に1度、特別養護老人ホームでの傾聴ボランティアに行かせていただいています。

 

お1人1時間、1回に2人だけなのですが、人生の大先輩方から、これまでに経験されたことや今感じていらっしゃることをお聞きできる貴重な体験です。

 

一人ひとりが歩んでこられた人生の織りなす綾から、たくさんのことを学ばせていただいています。

 

ただ、残念ながらそうしたご縁もなく、亡くなっていく方がおられるのも現実です。

 

私が令和元年最後の傾聴ボランティアにうかがったのは、世間がクリスマスで沸き立つ12月24日。

 

実はその前日、利用者Tさんが入院先で危篤状態になられたと聞き、施設長から「良かったらTさんのもとへ行っていただけませんか?」との連絡をいただきました。

 

Tさんは光薫寺のご信者でしたので、施設内でのお参りやお寺の行事でもよくお見かけはしていたものの、ゆっくりお話を伺ったことはなく、せめて最期だけでもと思い病院へと向かいました。

 

午後2時、病院の玄関で施設長と落ち合うと、「残念ながら、たった今、亡くなりました」とのこと。


「では、せめて枕経を」と思い、病室へと急ぎます。

 

病室に着いてみると、担当医より「まだ呼吸も心臓も止まっておらず、死亡診断は出せてない」と聞き、少しだけ安堵しました。

 

そこから約50分ほどでしたが、手を握りながら耳元で御題目をお唱えいたしました。

施設長からTさんの家族関係についてうっすら聞いてはいましたので、白くなった髪の毛やお顔のシワの1本1本をまじまじと拝見していると、そこに刻まれた喜怒哀楽とはどのようなものだったのか…想像するばかりでしたが、しみじみと偲びながら最期までお見送りした次第です。

 

不思議なことに、Tさんのご遺体は葬儀が終わるまでずっと柔らかく、死後硬直が来なかったとのこと。

 

別れは悲しいことですが、苦しまずに寂光浄土へ旅立たれたと受け止めさせていただきました。

 

 

Tさんの場合はたまたま私が看取らせていただきましたが、世の中には誰にも看取られることなく、そっとこの世を去っていく方が増えています。

 

その方々が最期に感じる寂しさたるや、果たしてどのようなものでしょうか。

 

考えるだけで胸がいっぱいになります。

 

 

何とかそのような人を1人でも減らしたい。

しかし、非力な私には何もできません。

 

祈ること以外は。

 

だから、今日も祈ります。

せめて自分の力のおよぶ限り。

 

誰ひとり取り残さないために。

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