とてもお世話になった方が先日亡くなった。

 

僕がいま行っている、色んな活動の縁を繋いでくださった方だった。思いを持った人同士を繋いでいく事を自分の事のように喜ぶ方だった。

 

香りを使った表現をされていた。目に見えないものを扱っているからか、見えている物だけが信じられるわけじゃないと知っている方だった。

 

ある日、「変だと思われるかもしれないけど、死ぬことを怖いと思わないんだ」と、そっと打ち明けてくれた方だった。

死は、生きている人はまだ経験したことがないから、体験として語れる人は誰もいない。お釈迦様が娑婆にいらっしゃった頃から、どうにもならない事の代表のように考えられている。だからこそ古来、人は死の向こうの世界を思って、大きな不安を抱え続けているし、その解消方法の一つとして、懸命に善行を積むことをどの宗教でも勧めている。

 

その方が伝えてくれた「死ぬことが怖くない」とは、どんな感覚なのかを考える。

 

病が進んでいく只中で、死を意識することは度々あったと聞く。身体も思うようにならない事が多くあった事を、僕も見聞きしていた。今までできていたことが、出来なくなっていくことも多くあったと言っていた。

常に死を見つめていると、自分の中にある死への恐れに気が付く。恐れとは何か? 死へ至るまでの苦痛? 一人旅立つ心細さ? 死の先の世界への不安? 一人で抱えるにはあまりにも大きい恐れ。

 

ただしかし、恐れに満たされているが故に、僕らはただひたすらに仏を思うことができる。自分の力ではどうすることもできないと思えるからこそ、委ねることができる。

 

その方が、死が怖くないと思えたのは、きっと死の向こう側に、仏を思えたのだと僕は感じている。僕にとってそうであるように、その方にとっても、大きな光だったり、尽きることのない安らぎだったりしたのかもしれない。

こうして「死」は、誰のものでもなく、僕らのものとなった。そして自らのものとしての「死」の裏返しとして、自らのものとしての「生」がある。

 

そのことを噛みしめながら、元号が変わっても、変わらず僕は僕の今日を暮らしている。

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