今年は、例年になく暖かなお彼岸であった。

 

福岡では、なんと桜の開花宣言が出されたのである。

 

例年なら3月末に開花宣言、4月初めに見頃を迎えるのだけれど…

 

お彼岸中に桜が咲いたことがあっただろうか?

読経をしながら想いを巡らせていると…

 

あった、あった!

 

すっかり忘れていたが、6年前のお彼岸も桜が咲いていた。

 

思い出させてくれたのは、お寺の仏教婦人会の世話役をつとめ、私を我が子のように慈しんでくださったⅯさんであった。

 

自宅で学習塾を開いていらっしゃったので、小学生の私もお世話になっていた。

 

不真面目な生徒であった私にも、いつも笑顔で優しく接してくださった。

 

「立派な和尚さんになって、私の葬式をお願いね!」

 

これが口癖であり、勉強だけでなく色々なことを教えてくれた。

 

 

春のお彼岸は、春分の日(中日「ちゅうにち」と呼ぶ)を中心に前後3日間、合計1週間を指す。

 

中日は、「太陽が真東から昇り真西に沈み」、かつ「昼夜の長さが同じ」であるとされることから、お釈迦さまが説かれた『中道』(どちらにも偏らない)の教えに合致する最上の日と考えられ、「あの世が一番近くなる日」とされる。

 

お彼岸の期間は、私たち人間が正しく幸せに生きるための6つの行い(分け与えること、戒め律すること、耐え忍ぶこと、努力すること、心落ち着かせること、智慧をみがくこと)を1日に1つずつ行い、日頃の自分自身の生き方を見つめ直す、言わば『仏教実践週間』として設けられたものである。

 

 

近頃、物騒なニュースが多くなったと言うものの、我々の住む日本は、まだまだ平和である。

 

平均寿命は男女ともに80歳を超えて、人生100年時代と言われる。

 

物質的に満ち足りた生活に満足できず、常に刺激を求め好奇の心を満たそうとスマホを握る。

 

しかし、私たち人間は、「悲しみ」を味わうからこそ「喜び」を感じる。

 

「絶望」を経験するからこそ「幸せ」を噛みしめるのである。

 

では、「いのち」あることに感謝し、「いまを生きる自分」を輝かせるのに必要なことは何であろうか?

 

 

それは、「いのちの終わり」を感じ、「死」と向かい合うことだと思う。

6年前のお彼岸に、桜が咲いていたことを思い出させてくれたⅯさんは、彼岸の最終日が七回忌(満6年目)のご命日であった。

 

葬儀の日、若い娘さん3人を残してのあまりにも早い旅立ちを悲しむかのように、満開の桜が風に吹かれてハラハラと散っていく様を、ご自宅の窓から祭壇のご遺影越しに眺め、お元気な間に何の恩返しも出来なかったことを悔やみながら涙していたことを思い出したのである。

 

 

彼岸に大切な人を想い、手を合わせること。

 

それは、亡くなった「いのち」と向き合うことであり、その方の生き方を鑑として自らの姿を映し込んだ時、その人が自分に向けてくださった想いに叶う生き方をできているだろうか、恥ずかしくない毎日を生きているだろうかと自らの「いのち」を問い直し、くじけそうな心を励まし支えて、あるべき姿へと導いていただくことなのだと強く感じた。

 

 

どんなに大切な人であっても、どんなに大事なことであっても、残念ながら人間は時が経つにつれて忘れてしまう…

 

忘れないためには、繰り返し思い出すことが肝心だと教えてくれた「彼岸の桜」であった。

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